僕の世代で、ミャンマー、ビルマと言えば、ビルマの竪琴。
それもひょうきん族で視たパロディのヤツ。水島ニッポンへ帰ろう~
他には、スーチーさんの名前を聞いたことがあるという程度。何をした人なのかもよく知らなかった。
ミャンマーについての知識と言えばその程度だった僕が、今では自分の会社でミャンマー人を雇用し、企業にミャンマー人の雇用を勧め、ミャンマー語の勉強も始めだした・・・
そして、ミャンマーをテーマにしたこのブログを開設した。
これってどういうことなんだろう?
最初にミャンマー人の技能実習生の講習を担当したのが、2020年の1月のころ。もう5年以上前か…
そのころ国際業務や外国人材の紹介業をやっていきたいという願いはあったものの、東南アジアの中ではフィリピンやベトナムのほうに興味があった。
でも、ミャンマーから技能実習で来ている若者の素朴さや純真さ、真剣な学習態度に好感を持っていた。
それから少しずつミャンマーのことを知り、ミャンマーの送出し機関のセミナーを受講したりしているうちに、仕事や他の環境面でもいろんなことがミャンマーにシフトしていった。
フィリピンのMWO(POLO)は何かと面倒でつくづく嫌気が差したし、ベトナムは安心で利便性の良い送出し機関が見つからなかったし、そんなこんなで消去法でミャンマーに絞られていった感じもする。
でも、絞ってからは加速度的に周りにミャンマー要素が集まっていった。
そして、ミャンマー人を雇用してからは、もうミャンマーは日常になってしまった。
この2月も、知人との何気ない会話でミャンマーで10年暮らした人の話が出たり、協会動画を見ていたら思わぬところにミャンマーがピックアップされていたり、自然とミャンマーというキーワードがモグラたたきのモグラのようにポンポン飛び出してくるから不思議。
何かあるんでしょうね。
深い意識の中で何かミャンマーとのつながりがあるんでしょうかね。
そうだとしたら、このままつながりを深めていく先に、自分の人生の意味や使命が見えてくるのかも。
このブログを続けていく先にそんな展開が待っていたらいいな~
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